2018年もお世話になりました。

本年もお世話になりました。恒例になりましたが、今年も個人情報含むペーパー類を破砕リサイクルいたしました。保管責任の期間を過ぎた書類を中心に、約200Kgほどを目の前でしっかり裁断しております。

最終日はこれもまた恒例になっていますが、社員さんに労をねぎらい心ばかりのお寿司で昼食をとってもらい、年末にいただきましたお歳暮も分解して人数分に分けて抽選いたしました。

おかげで会社や倉庫もきれいになり、新たな気持ちで新年を迎えられそうです。

お客様各位、お取引様各位、同業者の皆様含めこの一年もお世話になりました。ありがとうございました。

川路利良 大警視

先に終わった大河ドラマ西郷どんでも、職務への決意が強く感じられたシーンが出てきた。川路利良さんは、結果として政府側に立って、薩摩軍と戦った。シーンの中での警察隊と薩摩軍との戦いが出てきたが、このシーンほどいたたまれないと感じたシーンはなかった。薩摩で習う剣術の構えを双方共にしていたからである。

川路利良氏の銅像が、鹿児島県警の前に建てられれている。大警視年齢40歳は最年少ということらしい。

余談だが、休みに「田原坂」のDVDを借りてみたが、その作りや流れが今回の大河ドラマとよく似ていたことを感じたのは、私だけだろうか。。。

西郷隆盛終焉の地

毎日曜日に繰り返していた今年の自顕流の稽古がその日まででした。その日は西郷さんの最終日でもあったので、稽古の後子供たちを連れて、終焉の地に行きました。稽古場の南洲神社でいつも見ているお墓の横には、別府晋介氏がいることを知っている子供たちに話しました。

西郷さんは、鉄砲で2か所打たれてそして別府晋介さんに、もうここで終わりだねと話して死んだんですよと教えた。

稽古の後に立ち寄る温泉は、最後まで待機していた洞穴がある。その洞穴も毎日曜日に見ている彼らに、あそこを出発して走っている途中で、打たれて、ここで亡くなったんだよと話してあげた。

ドラマの最後は想像とは違ったが、子供たちは、今まで以上に鹿児島の西郷さんへの理解が深まり、大久保さんのことも知ることができたいい番組でした。

あきらめない、続ける 事がゴールをつかむ

昨日、お取引をいただいているプロゴワスさんの100周年記念パーティーに出席しました。1918現在、2018年ですから100年前は1918年 です。大正8年、松下幸之助さんの会社設立、これ以降に戦争があり、終戦を迎え、戦後の復興が始まるなど、とても歴史を感じる年月です。

記念公園で有森裕子さんの講演を拝聴しました。私たちが知る有森さんはメダリストですが、陸上の素質が全くなく、中学・高校でもほとんど補欠の時代を過ごされます。高校は陸上の名門校に進学しますが、それまでの成績で部活にも入れてもらえなかったところを、1か月にわたり熱意を訴え続け、監督が根負けして入部が許可されたそうです。

「粘り続けろ!粘って続けていれば必ず上の選手は落ちてくる、その時にチャンスが来る。今はその時ではないだけだ。続けろ。粘り強さは有森しか持っていないその、粘りを続けろ!」ということを顧問から言われたという。社会人のリクルート時代も同様。有名選手ばかりのクラブの小出監督に直訴したが、とてもその無受賞歴、体格で入社、入部はかなわない。だが、熱意を伝え、小出監督が人事部に掛け合ってくださって、入社しリクルートの部員として活躍が始まったそうです。日本最高記録樹立、バルセロナ五輪で銀メダル、アトランタ五輪で銅メダルと輝かしい戦績を残されました。

あきらめずに、潜在意識に透徹するほどの強い思いは、人を動かし、誰にも負けない努力によってつかんだ栄冠だったことは全く知りませんでした。それがわかって、あのメダル受賞時のコメントだったことが何となく感じることができました。

自分で決めたやるべきことを強く思う この一点がない次から次に襲ってくる壁を突破することはできないだろう。

鹿実のパフォーマンスも見れました。。。

生麦事件の現場

先日4日間横浜にて資格研修がありました。最終日は試験があり、合否判定があるのですが、多少知識のある講習会でしたので、少しリフレッシュの時間も設定しました。あさ9:30~17:00までの研修ですので、朝には周辺のランニング、夕方近辺の歴史散策をしました。今回は、一番遠出をした、横浜山下町近辺から生麦事件の現場へ足を延ばしました。近代国家へと発展していくきっかけになった事件です。この事件がないと、日本はいまだ途上国だったかもしれません。

左上の写真左側の民家の策に現場だったことを示す小さな案内板があります。ここで殺傷されたのです。前も後ろもまっすぐ続く街道です。当時の道路サイドはお店などが並び多少にぎやかだった雰囲気の旧街道沿いで起こります。

 

駅から少し歩いて、キリンのビール工場と高速のガード下にこの事件碑が立っていました。ここで、薩摩藩奈良原喜三右衛門に切られたリチャードソンが命を落としたようです。現場から5、600m先だと思います。

 

朝のランニングでたまたま発見できました。広い外国人墓地の敷地に、生麦事件犠牲者の碑がありました。3名のお名前が刻まれ、遠く外国の地で、祖国に帰れることなくここに眠る被害者及び外国の方々に、合わせて合掌したところでした。