社長のビジネスブログ

鹿児島の三大行事

鹿児島に三大行事といわれる行事がある。知っていたのは「妙円寺詣り」くらいで、「おぎおんさぁ」「六月燈」など想像した。よく考えれば「祇園祭」は商工会議所主催であり、「六月燈」は神社寺院で行われているので鹿児島の行事ではないだろう。

鹿児島の三大行事とは「妙円寺参り」と「赤穂義臣伝輪読会」そして「曽我どんの傘焼き」の3つをいうとのことです。

妙円寺詣り・・・関ケ原合戦で敵中突破し、何とか帰国した島津義弘の苦難をしのび、鹿児島市から、義弘の菩提(ぼだい)寺・妙円寺跡の徳重神社までの20キロを歩く。例年10月第4日曜日に実施され、多くの市民等が参加する。

赤穂義臣伝輪読会・・・浅野内匠頭が江戸城内で吉良上野介に刀を抜いた事で、切腹を命ぜられた。その後、家臣達が主君の仇を討つ。鹿児島では、「主君に対する忠」の教材として郷中教育の中で取り入れられた。現在では、いくつかの学舎で行われている。

曽我どんの傘焼き・・・曽我兄弟が親の敵討ちを果たしたときに、傘をたいまつ代わりにして陣屋を進んだという故事にちなんだ行事。 現在は、7月に甲突川河畔(南州橋下流)にて、古傘を積み上げてやぐらを造り、夜の闇がせまったころ火を放つ 夏の風物詩として定着しつつある。

1194年のこと(源頼朝・鎌倉幕府等の時代のことだ)、その昔、薩摩では「郷中教育」という独特の教育制度があった。(現在残っている「あいご会」ところによっては「自治会」の組織)そこでは、子供達を「稚児(チゴ)」「二才(ニセ)」「兄(アニョ)」と分け、年下の者は年上の者に従い、年上の者は年下の者に教育をし、武士としての教養、人徳、武芸などを学び人間性を磨いた。そこで主に、教えたものは、
1.「主君に対する忠」
2.「親に対する孝」
3.尚武(武術・武事により徳を尊ぶ)
で、あった。

子供達は「郷」ごとに集まり、身体を鍛え勉学に励んだ。その教育の一環として「曽我兄弟の話」が用いられた。「曽我兄弟の話」とは、敵討ちの話である。
二人が幼い頃、父河津三郎は工藤祐経に討たれた。やがて彼らが成人し、父の仇討ちを成し遂げ時はすでに17年の歳月が流れていた。 建久5年5月28日のことだった。その長きにわたり、親の事を忘れずついに仇を討ったことが、親への孝を教える教材として用いられたのである。兄弟は源頼朝に随行して富士の裾野で巻き狩りを行った工藤祐経を討ち取り永年の大願を成就した。その時、雨の降る中、傘を松明かわりにして陣屋を進んだという。この故事にならい、「傘焼き」を行い、曽我兄弟の孝心を偲び青少年教育に資質にしようとしたのが「曽我どんの傘焼き」である。薩摩では、旧暦の5月28日が近づくと、子供達が家々をまわり、古くなった唐傘を集めて、甲突川や磯の浜に持ち寄り、うずたかく積み上げ、辺りが宵の闇に包まれる頃火を放ったそうだ。唐傘は防水のために油が塗ってあったためその炎は高く燃え上がり夜空を焦がした。戦後、和傘が不足し開催を危ぶまれた時期もあったが、現在、鹿児島三大行事「曽我どんの傘焼き」保存会が中心となり、毎年7月に開催されている

鹿児島三大行事の一つ「曽我どんの傘焼き」は、鹿児島に古くから伝わる伝統行事である。

出所・参考:http://kasayaki.karakasa.com/

この行事に携わる機会をいただきました。来週です。

kasa02003page