社長のビジネスブログ

鼓舞奨励を望むは恥 ~中村天風一日一話より

社員さんの日報に仲間がしたサービスをほめる内容がよく報告されている。サービス結果が分かりやすい業務とそうでない業務があるが、「気配り」は伝わるだろう。その日報を通じてよく称賛内容を書く人がいる(その行為に気づく人、わざわざ声にして評価する人)。また、よく称賛される人もいる(よく報告される人、されない人)。他人の行為を評価して声にしてくれる人の日報は、気持ちもいいので朝礼の際、その連絡内容を読みあげその善い行動(ほめる人・ほめられた人)を共有しています。

人をほめあったり助け合ったりする組織には「和」がうまれる。これからも向上し、高まっていかなくてはならない組織なので、そのためには皆が心を共にして「ベクトルを合わせる」ことを重視している。一生の中で家族の次又は同等なくらい多くの時間を費やす会社の仲間だ。「和」をつくろうと努力する小さな皆の心配りは、とても頼もしい。皆と皆の家族が生きる組織は、いま所属する会社組織なのだから、皆が小さな努力を払わなければ「善い会社」なんてできやしない。

人を鼓舞奨励することは非常に尊い。

しかし、人から鼓舞されたいとか、奨励されたいとかいうふうに臨んだならば、これはもう恥であると同時に、人間としてさもしい心がけだと思え。

~中村天風

もしもいささかといえども褒章を目的とするような凡人俗人の卑しい心持が発生したならば、その時は、「箱根山、駕籠(かご)に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という歌を思い出すがよい。 そうすればこの世の中に生きていくにはどんなに偉くなっても、自分ひとりで生きられるものではなく、他人があって自分、自分があって他人ということが理屈でなく感じられ、その感じた心が良心に感応すれば、報償(徳のむくい)を超越した責任感となり、更にその責任感が真心となって発露する。

そう、弊社は「真心」から仲間の善行・頑張る姿勢を、皆に連絡共有しようと思ってくれている社員が多いのだ。

人だからだれでも承認されたいし認められたい。しかし「なぜ認めてくれないんだ・・・」と声を上げるようになると、どうだろう。「調和」や「組織が大切にしていること」より「自分」(自己中心的な考え)が立ち、「調和がとれなくなっていく」きっかけを自分で作ることになっていくのかもしれない。。。