西郷隆盛さん
維新三傑と言われる「西郷、木戸、大久保」の中でも西郷さんの言われたことは1.2年いや20年で
訂正しなければならないことは一つもない。
万代に響く真理ばかりじゃ。と言われた方の言葉を拝読して以下を記します。
西郷隆盛さんのことを「西郷南洲翁」と言う。鹿児島のみならず全国にもファンがいる地元の偉人。
戊辰戦争後に薩長土連合が新政府の要職に就くが、倒幕の志を果たし権力が手に入ると私利私欲の
し放題だったことを憂い、自身はこの中から抜けた。新政府による政治で以前までの武士が
その仕事・役割を終え行き場のない武士が全国に増えた。
西郷さんはこの方々のために地元で私学校を作りそこで行き場のなくなった武士たちを受け入れた。
その時の教育の内容を記録したのが「南洲翁遺訓」といって戊辰戦争で負けた庄内藩史が
作り上げたものだ。
その第1条の一部。
西郷南洲翁遺訓
第1条 廟堂(びょうどう)に立(た)ちて、大政(たいせい)を為(な)すは、天道(てんどう)を行(おこな)ふものなれば、些(ち)とも私(し)を挟(はさ)みては済(す)まぬもの也(なり)。いかにも心(こころ)を公平(こうへい)に操(と)り、正道(せいどう)を踏(ふ)み、広(ひろ)く賢人(けんじん)を選挙(せんきょ)し、能く(よ)其職(そのしょく)に任(た)ふる人を挙(あ)げて、政柄(せいへい)を執(と)らしむるは、即(すなわ)ち天意(てんい)也(なり)。夫(そ)れ故(ゆえ)真(しん)に賢人(けんじん)と認(みと)める以上(いじょう)は、直(ただち)に我(わ)が職(しょく)を、譲(ゆずる)る程(ほど)ならでは叶(かな)はぬものぞ。(以下略)
会社で、管理職となり組織を運営するのは天地自然の道を行なうものであるから、いささかでも、私利私欲を出してはならない。だから、どんな事があっても心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に実行出来る人に政権を執らせる事こそ天意である。だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲る程でなくてはならい。(以下略)
毎日曜日、子供と「自顕流」の稽古をしている。この日は1歳を過ぎたばかりの次男も連れ立った。