自顕流の技と精神
先日、薬丸野太刀自顕流の会があり出席しました。場所は南洲神社内なのですが、その会場が四方学舎と呼ばれる場所で
以前から郷中教育の一環として利用されていた場所でした。もとは甲突川沿いの加治屋町付近にあったようで、先輩方が幼少時は学校帰りに直行し,
人生のあらゆることを学んだそうです。そこにはゆかりのある様々な当時の画像や額縁などがありました。その掲示物を少々。
さて、自顕流の稽古は「続け打ち」と呼ばれる基本の打ち込みが基本中の基本です。
大河ドラマ「せごどん」などでもよく出てくるシーンで、これは「朝に三千、夕に八千」と言われとにかく
全体重を乗せて(ひざを地面に打ち付けるよう)上から地面(地軸の底まで)までたたくようなイメージの動作を繰り返す。
足腰の弱かった私は、それが終わった後は、足が笑ってまっすぐ立てなかった初心者時代を覚えている。。。
稽古を通して「刀は抜くべからざるもの」とする厳しい自制心を養い、意地と業を修め、「心身一如」を通して「無我無心」の境地を目指すとは言われていますが、
その境地にいつたどりつけるのやら。。。
特にこの続け打ちは、キィ~という声を出しながら打ち続けるので、一心不乱の状態になる。無私になる瞬間を体感できるので
続けているが、実はこの無私の状態は「無我」となっている瞬間なのだろうと思うし、無我状態というのは修行僧が座禅を組み、目指す境地なのかもしれない。
技は勿論ですが、精神・心を高める一助となっていればいいのですが・・・