考え方~フィロソフィの共有
弊社では、行動指針、考え方の判断基準を共有するために「京セラフィロソフィ」のような「文化社の考え方」を共有している。まだまだ自分自身が完ぺきにできている内容でもなければ、社員の皆さんが腑に落ちた内容でもない。
しかしながら、企業に息を吹き込むのは社長である私の役割であり、私が「土屋妥九」という個人に戻った瞬間に企業の息吹は停止する。その息吹は私の性格や考え方の表れであり、私が正しくなければ、企業、そこに生活をゆだねている社員とその家族まで正しくないものになってしまう。
だからこそ、こうありたい、こうあるべきだと自分ができなくても社員さんには発信し続けなければならない。人として正しいことや考え方を共有するのだ。それが、植木に例えるとその根っこであり、目には見えないものなのだ。
人や地域に対して、善きことを想い、善きことを行う。結果として収益という影がついくるのだ。社員の皆さんが自身の根っこまで「人として正しくある」という共通の考え方になるように日々訴え続けなければならない。
そのためには自分が生きていること、今あることに感謝の念を心から持つことだ。行ってきますといえる住む家があり、おはようございますといえる会社があり、仕事があり、お客様があり、ただいまと言える家族がいる毎日に感謝する。それを存在させてくれている周りに環境に感謝する気持ちを心から思い口にすることだ。
普通の生活ができていることを見失うと、あらゆる欲が深くなり結果として正しい判断や考え方ができなくなってしまう。人の欲は際限がないのだ。