武士道の「義」について
武士道の考え方の根底にある内容が「義・勇・仁・礼・誠・名誉」であり、その考え方が私たち日本人が持っている「正しい考え方や振舞い」となっているということを改めておさえたい。
そのうえでまずは、「義」について。
体に例えると「骨」。「骨」がないと、首も正しく胴体の上につかず、手も足も動かない。
才能・学問や熱意があっても「骨=義」がないと武士ではない=模範ではない=正しくない。
打算や損得を超越し自分が正しいと信じる道を貫く。
武士はとにかく損得勘定を嫌っていた。銭感情はつまり損得を追求する行為でありだからこそ商売は商人たちに任せて上位の身分である武士たちは人々の模範となる生き方を追求した。
「士農工商」というわけですね。
戦国時代 「越後の上杉謙信」と「甲斐の武田信玄」との戦い
武田信玄と敵対していたもう一人の武将:今川氏は武田領内へ商人が往来するルートを断った。「塩留め」を行ったのである。海のない領土の甲斐の武田信玄は塩が手に入らず死活問題となっていった。
苦しむ信玄に謙信から手紙が届く。
「信玄殿と戦っているのは弓矢の上であり、コメや塩で戦っているわけではない。今後塩が必要なら我が国から供給しましょう」 → 「敵に塩を送る」
生きるか死ぬかの戦国時代にあり、卑怯な手を使ってでも勝利にこだわる自分の欲を満たす武将が多いなか、あえて「義」を重んじることを通した。
「敵に塩を送る」:争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質ではない分野については 援助を与えることのたとえ。
余談ですが・・・
越後から送られた塩が松本に到着したのが、1568年(永禄11年)1月11日。感謝の意をこめ毎年1月11日に「塩市」が開かれるようになりました。この塩市は現在「あめ市」として長野県松本市で開かれているということらしい。