社長のビジネスブログ

性格と人格

人間には元々、持って生まれた性格というものがある。素直な人もあれば、えげつない人もいるように、人それぞれいろいろな性格を持っている。

しかし、我々はその持って生まれた性格のまま生きるのではなく、人生を生きていく間に先人の教えを勉強し、人間性を高めていかなければならない。

(先人の教えとは、歴史という風雪に耐え人類が長く継承してきたもので、人間のあるべき姿、持つべき考え方を明らかにし、我々に善き感化を与えてくれる「聖賢の教え」)

人間のあるべき姿を示した素晴らしい考え方や哲学を繰り返し学び、理性で理解することではなく、常に押しとめて置けるように努力する。

そうすることで、自分がもともともっていた性格の「歪みや欠点」を初めて修正することができ、新しい人格いうならば「第二の人格」を作り上げることができる。

スポーツマンが毎日肉体を鍛錬しなければ、その素晴らしい肉体を維持することができないように、心の手入れも怠れば、あっという間に元の木阿弥になってしまう。一度の鍛錬で素晴らしい肉体ができることがないように、一度学んだだけで十分ということはない。庭とて同じ。雑草とりや手入れを怠ればあっという間に荒れ放題、雑草だらけの庭が出来上がる。心の庭も毎日顔を洗うのと同じように、毎日洗い手入れをしなければ、雑草にむしばまれる。

歪んだ、嫌な性格を治すために、第二の人格=高いレベルに維持された人格を作り上げなければならない。そのために、学ぶことをとめてはならない。学んだことを「善くない性格」に覆いかぶせ、出現しないようにしないといけない。そもそも「ふさわしくない、利己的で勝手な性格」に気づくことができないと手も付けられない。

 

善くはない「性格」丸出しでは、言い分も通ることもない。