社長のビジネスブログ

強制的な腑に落ちない仕事をどう自己処理するか

先日BSだったと思うが、大学を卒業し社会人1年生技術者(エンジニア)の会社での様子が特集されていた。学生時は理系で技術を学び、会社の先輩方のように社会に役立つ機器をエンジニアとしてつくりだし世に役立ちたいという高い志を持って入社したようだ。

その会社には野球部があり、社会人野球にも出場する名門の野球部を要する会社だった。社長が「野球は人づくり也」的な、お考え持っているほどで、新入社員はほぼ全員、その応援団へ入部が強制的になされていた。応援団といっても学ランは着用してなかったが、本格的な応援団。チアもチアで本格的です。スタンドもこんな感じで、その社員始め取引先までスタンドがびっちりう埋まる。NTT、東日本〇〇、ホンダなど大手ナショナル企業だからそうだろう。

会社が終わってから、練習場所に集まる。新人はこんなことやるために会社に入ったのではない。やるためのモチベーションがない。目標もない。嫌だ。やりたくない。指示だから、練習場所にはとりあえずいく。手がそろわない、覚えがよくない、できない、叱られる。仕事で叱られるならわかるが仕事でないのに叱られて。・・・マイナスの循環だ。

 

その彼が先輩と管轄部長に相談に行った。

「なぜ!?」「こんな今年に入社したんじゃない!」「自分をモチベートできない」などなど。

先輩:学生だったらまだいい。社会人になったらそういうのは通用しない。

部長:つらかったりきびしかったり理不尽だったりする。やりたいかやりたくないかは選べない選べるとすれば、やりたくない仕事になる。そういうものだからこそ、自分の中で「目標設定していこう」「こういうふうにしていこう」とかとりあえず決めて、それに基づいて行動したら、自分は自分にとっての「苦境」を乗り越え、それができたってなる。目標を持ち意識を変えたら、行動って変わってきますよね。そういうことを学ぶ場にしてほしい。自分が前向きにならないとトライアンドエラーにならない。後ろ向きのままだと、単なるエラーに終わってしまう。

また、以前は納得しなくてもとにかくやってみるかというところがあった。最近は納得しないと行動に移らない。として、今まで練習場での練習だけしかしてなかった新人を連れて、ほかのチームの試合を観戦しにつれていった。一糸乱れぬ応援に目が釘付けになった。

その彼は、その晩から自分で練習を始めた。自分の中で納得した点として

期日の決まった目標に向かってどういう風にやっていくかが大事。それを応援団を通して気づいてほしかったんだと気づいた。学生の間は嫌なことがあっても逃げられる。絶対にやらなきゃいけないという環境の中での立ち向かい方がわかった。こういう経験はどこかで応用が利く。一過性ではない。どこかで同じシチュエーショッがおこる。その時には自分は越えられる。あの時と同じようにやればいいとなる。この取り組みはプラスの評価ですと。

彼は立派な社会人になった。大人になった自分を自分の精神を成長させてくれる人やことはあるだろうか。自分だけがいいとする人が大半の世の中で、会社はその人を成長させるために様々な仕事をお願いする。

したいこと、やりたいことをするのではなく、やるべき、するべきことをする。やる。、やり遂げることを先に自分で決めることが大切だ。