庄内藩 酒田市鶴岡市 南洲神社
今回は盛和塾の勉強会で旧庄内藩の酒田市・鶴岡市にお邪魔した時の様子です。盛和塾の塾長稲盛和夫氏は「西郷南洲翁遺訓」や「敬天愛人」からも影響をお受けになっており、その教えもベースにして経営に対する考え方を固めておいでです。その西郷さんの教え「西郷南洲翁遺訓」は、薩摩藩の弟子たちが残したのではなく、西郷さんの私学校に学びに来た庄内藩の方々が残した遺訓集なのです。南洲神社は鹿児島にもありますが、奄美・徳之島とここ酒田市にもあり、この神社の会館で勉強会をさせていただきました。
戊辰戦争で勝利した新政府軍が負けた幕府軍に所属していた庄内藩に入った時のことが残されていました。新政府軍の大将として黒田清隆氏が藩主酒田氏に上座から命令書を読み上げた後、さっと藩主と上座と下座を入れ替え、「役割につきご無礼を致した」と立場が上の方への敬意を表したことから関係が始まっています。
鹿児島より多くの遺品や直筆の書が残されており、また私たちの先輩を私たちよりも敬っていただいていることを感じずにいられませんでした。これは次回ご紹介する未開の荒れ地の開墾業務においても見て取れました。
また、西郷さんの最後となる西南戦争においても、この山形庄内の藩士が西郷さんと最期を共にしておられます。私が毎週稽古している南洲神社にその二人のお墓もあり、また稽古場の横には庄内柿の木が植えられています。毎々見ていたものが、しっかりとつながった瞬間でした。