社長のビジネスブログ

大阪の恩人と言われる「五代友厚」

鹿児島出身で、地元ではあまりいいように言われることもかたられることもない五代氏。この五代氏が初代会頭を務めた大阪商工会議所の記念事業として建立された「企業家ミュージアム」を訪問する機会があった。

IMG_9356施設の方の説明で、この五代氏が大阪で活躍し、今の大阪の基礎をつくった方として、尊敬され大事にされていることを肌で感じた。薩英戦争を経験した島津藩は、外国・英国から学ぶ必要性を痛切したことから、鎖国の世にあってリスクを冒してまでも若者16名を藩費留学させた。その責任者的役割をこの五代氏が受けている。五代は英国ロンドン大学等に若者を預けたのち、ヨーロッパのあちこちへ渡りさまざまなものを五感で感じていたのだろう。日本に帰り、教育、経済のあらゆる面でフル稼働していた。

大阪科学技術館、日銀大阪支店のあたりに居を構え、大阪商工会議所、大阪証券取引所、大阪市立大学の前身となる組織を設立していく。晩年も大阪だったようで、そのお墓は鹿児島では聞かない。大阪にあるようです。(→ウィキペディアより)「1885年10月、阿倍野の墓地に従五位勲四等五代友厚墓として葬られる。阿倍野区の阿倍野筋4-19にある大阪市設南霊園(阿倍野墓地)の中央にランドマークのようにそびえているのが、江戸後期に薩摩藩士の子として生まれ明治初期に活躍した大実業家の五代友厚の墓である。」

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大久保利通さんも福島の安積疎水の大工事の偉業から、「大久保先生」と今でも慕われておいでです。

地元にとっては陰ながら、間接的な偉業や行いはあるわけだが、表だって五代さんや大久保さんのことが言われることは少ない。しかしながら、西郷さんらと郷中で学んだ鹿児島人としての気風や考え方は地元の有名人と同じもので、その考え方の実践をよその地で実行したのでしょう。

地元でももう少し取り上げられてもいいのかなと思われる人物のお一人だと改めて感じました。