修養 新渡戸稲造著
修の「修」とは、「身を修める」肉体の欲望のために心を乱さないように。心が主となって志の向くところを決め進み行く。修養の「養」とは、「心を養う」という意。つまり、修養とは「修身養心」。日々の修養は、それを行っている最中にはそれほど思わないが、だんだん集まり積もると立派な人格を築き上げる。修養が身の肉となり、凡人と異なる所の人となる。
何かやろうとするとき、最初に志を立てること、「発心」は、どんな人も幾度となく経験する。
最初は勢いに駆られ、熱心に行うけれど永続しがたい。たいてい、途中で嫌になる。繰り返しやるのが継続であって、難儀はここにある。
継続心を修養する
最初から難しいことをすると失敗に終わる。たやすいことで少し嫌だなと思うくらいのことを選んで、継続心を鍛錬するとよい。たとえば、冷水浴、日記を続ける。繰り返し行うのがよく、行っているうちに、継続ということが習慣となって、一事に達したものがほかにも応用される。
人は「己に克つ」ことで成功し、「」自らを愛する」ことで破れる。己に克つ(克己)とは、「情欲」を制するという意味。
勇気を養う
勇気は野蛮人でも理解し得る徳の1つ。「正を守る」は勇気の根本で、「恐れるなかれ」はすなわち勇気だ。正を守ることは、勇気修養の最大条件。正義に基礎置かずただ自分の意思に任せて勝手にふるまうのであれば、獣にもできる。真の勇気とは、どこまでも正義を守ったもの。義を守るようにすることが、勇気修養の第一歩。