やらない理由とやる理由・・・
会社では様々なお願い事項や指示がある。・同僚同士のお願い ・役職上位者からの指示 ・総務等の総括役からのお願い など様々。同僚同士のお願いは、お互いの範疇ですればいい。有給や当番の交代、些細な手伝い等がそれにあたる。しかし、「指示」は別。
会社でも様々な状況を踏まえ、社員の将来や成長、会社の成長等の判断を経て、判断を下し「指示」を出す。その指示への意見はさまざまにあり思うことは自由。しかしながら「指示」に「背くこと」「背くことを人に言う」ことは「扇動行為」であり組織にあっては「害」となる。もはや組織人ではない。
「〇〇のことを踏まえていない、だから私は指示を真剣に取り組まない」
「〇〇だから、皆がしているけど自分はしない」「言われたけど、今しなくてもいいと考えたから後回しにした」
「〇〇の指示は間違っている、私は□□と思うから〇〇の指示は実行しない」
会社組織であれば、上位者からの指示は絶対である。意見を求められれば意見をするのはいい。しかし、指示が出たら守る「はいわかりました」。
こと社長は社員と社員の家族を将来にわたり守っていく責務があり、それに備える様々な情報を入手し想像し手を打つ。遅くなることもあるが、すべて「利己」ではなく「利社員」である。説明すべきところや相談できることはできるだけ相談する。共に動きたいからだ。もし、それに対し「しない、聞いてない、できない」ならば「いらない」のだ。その責任は自分がとることになる。それが組織と共に生きるルール。
ライオンの群れに暮らしていながらリーダーの指示に従うことができなければ、その群れを出るのは至極当然。家長である父親の指示に最終的に合意することができなければ、縁を切られる。これも当然。
できない、やらない、自分が正しいという理由を口にするよりも、「やる、する」ことを「自分で思う」ことが大切だ。
今回の安倍首相の判断による一斉休校や自粛要請。これは「お願い」であるが「指示」である。国民の安全や健康、国家間、国家内の近未来のことなど考えられうることを踏まえて判断する。その意図を説明することも必要だが、まずは皆がその「指示」に従うことが日本という法治国家にその構成員の一人として暮らす私たちには重要だと思う。このことは組織でも同じ。