8月 29


飫肥城

おびじょう
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日本百名城の一つ、宮崎県日南市の飫肥城に行ってきました。
飫肥藩 伊東氏5万1千石の居城です。
外堀に川を使い、その内側に武家屋敷が立ち並ぶ。
本丸を含む多数の曲輪は空堀で囲む。

わぬしなら、どう攻むる!

(真田太平記の真田昌幸役 丹波哲郎風)

戦国時代に島津氏と伊東氏が103年にわたって覇権を争った城です。

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5万1千石の小藩の居城にしてはかなりデカイです。
今回初めて行きましたが、なかなかに面白い!
石垣は江戸時代元禄期のもので、大手門は1978年の想像復元なのですが・・・・
戦国時代のニオイがプンプンします!
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ウィキペデアなどから抜粋
分かりやすく年表を作ってみました。

飫肥城は、土持氏が南北朝時代に築城し支配。
そのころの伊東氏は、守護職である島津氏の被官として土持氏と共に国衆または国方と呼ばれた。

1458年
室町時代末期
島津氏が、一族である新納忠続を飫肥城に入城させた。
(島津本家、分家の島津伊作家との勢力争い)

1484年
伊東氏が飫肥に侵攻する。(分家 島津伊作家に加勢)
当時の当主伊藤祐堯、息子祐国、弟祐邑が島津との戦で戦死する。

1484年
島津久逸(分家 島津伊作家)降伏する。

その後、伊東氏の飫肥城にかける執念は凄まじく、その後も伊東氏による飫肥侵攻が断続的に続けられる。

1560年4月24日
伊東義祐の攻撃から飫肥の島津忠親を救うため、島津義弘(父は伊作家出身、義弘は伊作城の生まれ)が飫肥城に入る。

1562年
島津本家が肝付氏の激しい攻撃にさらされ、島津義弘が本国へ帰還する。

1568年
伊東義祐が総勢2万の大軍を率いて飫肥城を攻撃。
島津義弘不在の飫肥城は陥落。
伊藤氏が、念願かなって飫肥城を奪取する。

1572年
木崎原の戦い
(軍勢 伊東氏約3000 島津義弘約300 の戦で伊東氏敗北)
をきっかけに伊東氏が没落する。
飫肥も再び島津氏の支配となる。

1577年
伊東義祐を日向から追放する。
伊東氏 豊後の大友氏を頼る。

1578年
島津義弘 耳川の戦いで豊後国から遠征してきた大友氏を破る。
大友氏の大敗は、居候同然の伊東氏への風当たりとなり、豊後を離れ四国へ渡る。

1586年
豊臣秀吉の九州平定軍に伊東祐兵が参加。

1587年
根白坂の戦いで島津軍が秀吉に大敗する。

1587年
伊東氏が再び飫肥の地を取り戻し
大名として奇跡の復活を成し遂げる。

以後の伊東氏は、廃藩置県で飫肥藩が廃止されるまで一貫して飫肥の地で家名を全うした。

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