「行う」ことのむずかしさ

誰でもわかっている。「わかる」と「できる」は違うということ。しかしながら、いざ、新しい事や自分のやったことがない領域のことや初めてのことへの「行う」は躊躇する。何度も何度もこのブログでも書いているが、言っているが、「わかる」は口先だけのあご。「できる」は実践者。

どちらが成長するだろうか?どちらがより良い人生を送れるだろうか?

聞いてない、知らない、できない、やらない → いらない  。

聞いていても、知っていても、わかっていても できない 。 いつまでたっても評論家。 これもやがては  いらない  となっていくことだろう。

やらない、できない理由はすぐにいくつでも、誰でも探せる。

できる、やれる理由を探せる人になろう!

数々の言葉が残されている。

いにしえの道を聞いても唱えてもわが行いにせずばかいなし ~島津日新公いろは唄の「い」

泣こかい、飛ぼかい、泣こよか、ひっとべぇ~ ~鹿児島の子供たちへの薩摩士風の教え

道 この道を行けばどうなるものかと危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一歩が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ 行けばわかるさ。 アントニオ猪木氏も当時プロレスという舞台で迷いながらも実行して何かをつかんだのでしょう。

 

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